反骨心から生まれた挑戦──アーラリンク高橋代表が語る起業の原点と未来

代表・高橋氏が自身の原点と重要な意思決定について語る。
幼少期から「突き抜けたい」という強い想いを抱き、中学時代には一族初の大学進学を目指して猛勉強。大学時代には営業に没頭するも挫折を経験し、借金を抱えながらも這い上がる。
卒業後、就職せずに起業を決意し、社会のために事業を成長させるまでの苦闘を重ねた。携帯電話レンタル事業を立ち上げるも世間の偏見と戦いながら5年間耐え抜き、ついに行政との連携を実現。
「ことをなす」という信念のもと、誰でもスマホ事業を展開し、多くの人々に寄り添うサービスを提供するまでの軌跡を語る。反骨心と信念が生み出した挑戦の物語に迫る。

自己紹介編とは?──自己紹介の意図

僕の人生には、いくつかの重要な出来事と意思決定がありました。この動画はそれを振り返る「自己紹介編」という形で、自分の歩みを整理するために撮っています。僕がなぜ今の事業をやっているのか、なぜ会社を経営しているのか、よく聞かれることなのでここでしっかり話そうと思います。

突き抜けるための決意──中学時代の猛勉強

人生で一番重要だと思っている出来事は中学時代の経験です。僕の家族は、両親も親戚もみんな高卒の家系でした。小さい頃は特に気にしていなかったのですが、正月に親戚が集まるときにうちの親父が特別に評価されることもなく「普通の人」として扱われているのを見てすごく違和感を持ちました。

「普通で終わるのは嫌だ」

そう思った僕は小学2年生の頃に「この家族の中で初めて大学に行く」と決意しました。突き抜けるためには努力するしかない。そこから受験勉強に全力を注ぎ、早稲田の付属校を目指して猛勉強を開始しました。

特別な才能があったわけではなく、とにかくひたすら勉強しました。壁に「自分の人生を作る」「トンビが鷹になる」なんて言葉を書いて自分を奮い立たせていました。その結果、偏差値75の高校に合格。あの時の努力は僕の人生において大きな転機となりました。

自由すぎた高校時代──バイトと麻雀に明け暮れる日々

高校は自由な校風で勉強のプレッシャーが一気になくなりました。その結果、バイトと麻雀ばかりするようになりました。「せっかく努力して入ったのに…」と今なら思いますが当時はそんなこと考えもしなかったですね。

ただ、大学に進学したとき、周りが遊び始める中で僕は「人と違うことをしたい」という気持ちがまた強くなりました。そこから営業の仕事を始めました。最初は軽い気持ちでしたが思った以上に結果が出て「営業、めっちゃ面白いじゃん」とのめり込んでいきました。

大学時代の挫折──夜逃げと借金80万円

しかし、営業に夢中になりすぎて大学にはほとんど行かなくなりました。そんな中、大学2年生のときに付き合っていた彼女と同棲を始めたのですが、半年後には家賃が払えなくなり夜逃げしました。そのとき僕は80万円の借金を抱えていました。バイトもしていたのになぜか全然お金が足りなかったんです。

地元の友達や家族に心配されたくなくて実家にも帰れず、高校時代の友人たちとも疎遠になりました。プライドが邪魔をして「助けて」と言えなかったんですよね。その結果、携帯を捨てて誰とも連絡を取らない生活を送りました。営業の仕事を続けながらひたすら借金を返済する日々。目標もなく、ただ生きるために働く。そんな暗黒時代でした。

大学卒業と就職活動の全滅──「このままでは終われない」

大学4年生になったとき、卒業のために必要な単位が60単位しかなく留年が確定しました。一時は中退しようかとも思いましたが、両親に「大学だけは卒業しろ」と言われ渋々通うことに。結果的には何とか卒業しました。とはいえ就職活動は適当にやっていたので、全部落ちました。

仕方なくバイト先の営業会社にそのまま社員として入ることになったのですが、その矢先に東日本大震災が発生。社会全体が混乱する中、僕も自分の人生を見つめ直しました。「このままの人生でいいのか?」と真剣に考えた結果「生きた証を残したい」と思い、起業を決意しました。

起業の決意──知識ゼロからのスタート

起業したとき、僕には経営の知識も何もありませんでした。ただ「絶対に成功するまで続ける」と決めていました。

最初に手がけたのは携帯電話のレンタル事業でした。でも当時の社会では「携帯レンタル=振り込め詐欺に使われるもの」というイメージが強く、世間の風当たりはめちゃくちゃ厳しかったです。しかも貧困層向けのサービスに対する理解もほとんどなかったので「そんなことやってて大丈夫なの?」とよく言われました。

それでも困っている人に携帯を提供することで、直接「ありがとう」と言われる仕事でした。それが僕の支えになっていましたね。

起業5年目の転機──「ことをなす」ために

5年目になるとお客さんも2000人を超え、ビジネスとしては成立していました。でも、ふと「何のためにこの仕事をやっているんだろう?」と思うようになりました。

そんなとき、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで「人生とは、ことをなすことだ」という言葉に衝撃を受けました。起業したときの「生きた証を残したい」という想いを思い出し、もっと社会のためになる事業をしようと決意しました。

その後、携帯レンタル事業を行政と連携する形に進化させ、厚生労働省と協力して支援制度を作りました。結果的に社会的な信用も向上し、より多くの人にサービスを提供できるようになりました。

「誰でもスマホ」の挑戦──社会に必要とされるサービスへ

2023年には「誰でもスマホ」事業を開始し、携帯のレンタルから利用者自身が名義を持てる形へとシフトしました。これにより、より安心して使えるサービスになり、大手家電量販店との提携や行政との連携強化も進みました。現在、行政の約半数が僕たちのサービスを利用者に紹介してくれています。でも、まだまだやるべきことはたくさんあります。

「もっと社会に必要とされる事業にしなければならない」

そのために、僕はこれからも挑戦を続けます。